第22回 DEEP PURPLE『LIVE IN JAPAN』
2018 年 03 月 03 日
●DEEP PURPLE:『LIVE IN JAPAN』(1972年)
前回特集でご紹介したCHEAP TRICK『at武道館』(1978年)と共に、
大いに日本の“有名会場”としての「日本武道館」の名前を
世界に知らしめた功績は多大なるものでありました。
この会場で音楽コンサートを行った最も有名な海外グループは
何と言っても「THE BEATLES」(1966年の来日公演)。
ビートルズの公演以降「日本武道館」は
「ロック・コンサートの殿堂」的な位置付けで今に至っています。
1980年代以降はあまり例を見なくなりましたが、
1990年代に日本で高い人気を誇ったMR.BIGが
久しぶりに日本武道館公演のライヴ盤をリリースしました。
それにしてもCHEAP TRICKといい、DEEP PURPLEといい、
この歴史的なライヴを実際に会場でご覧になっていたファンの方々は
さぞ誇らしいでしょうね!!!心からうらやましく思います。
私はこれまで自分が見に行ったライヴが後に音源になった、という経験がありません。
一度でいいので自分が見たライヴが
「ライヴ盤(あるいは映像化)」になるという経験をしてみたいものです♪
●THE FAMOUS ARTIST:NIK KERSHAW
残念ながらアメリカでのブレイクには至りませんでしたが、
本国イギリスと日本では高い人気を得たシンガー・ソングライターです。
番組でご紹介したシングル・ヒット曲「ザ・リドル」を含む
同名アルバム『ザ・リドル』(1984年)の楽曲群は、
今聴いても独特で彼にしか作りえない個性的で極上のPOP MUSICでした。
加えて少し鼻にかかった彼の“歌声”も個性的で、
それまでに聴いたことがなかったタイプのPOP ARTISTだったように思います。
1990年代以降、私は彼の音楽を追いかけることをいつしか止めていました。
どうしても「ヒット・チャート」に名前が出なくなると、
まずそのアーティストの情報自体が乏しくなり、
やがて興味が失せていくのは止む無しだと思います。
しかしながらこの番組を始めたのをきっかけに
色々と「80’s組アーティスト」の現在の活動を調べると、
ニック・カーショウに限らずリリースこそ控えめながら、
とにかく複数アーティストとの共同ツアーだとしても、
いまだに活発に音楽活動を続けているアーティストの姿が多く目に付きます。
「過去にヒット曲がある」という事は、例え今現在にヒット曲が無くても、
一時代「音楽ファンの気持ちを共有した」という事実として
長く各々のアーティスト・ファンの心に残っているものなのですね。
わたしにとってニック・カーショウの「ザ・リドル」は
そんな思いを馳せさせる、大切な80’sの思い出の曲の1曲です♪
第21回 CHEAP TRICK『at BUDOKAN』
2018 年 02 月 24 日
●CHEAP TRICK:『at BUDOKAN』(1978年)
実況録音されている女性ファンの熱狂的な大声援に、
当時の彼らの日本における人気がいかに凄い現象だったかを痛感します!
アルバム・ジャケットを見ると何枚かはメンバー4人のうち
「イケメン2人」だけが表ジャケットを陣取っていることに気がつきます。
そうなんです、ロビン・ザンダー(Vo.)とトム・ピーターソン(Bass)の
2人しかオモテ面に写っていないアルバムが4枚も!!
『In Color/邦題:蒼ざめたハイウェイ』(1977年)、
『Heaven Tonight/邦題:天国の罠』(1978年)、『at BUDOKAN』、
そして『Lap Of Luxury/邦題:永遠の愛の炎』(1988年)がそれです。
この「割り切られ感」、
他の2人(リック・ニールセン/Gt.、バン・E・カルロス/Dr.)は
どんな気分だったでしょうね?(笑)
アルバム『永遠の愛の炎』からのシングル「The Flame」で
初の全米No.1シングルを記録した後、
1990年代に入ると再びセールス不振となってしまいます。
しかしながら、その頃から「POWER POP」なる新たなジャンルがもてはやされ、
その「元祖」がCHEAP TRICKである、
というルーツ的解釈がなされたことにより
彼らはセールス的には全盛期に及ばないものの
「存在自体」がリスペクトされることになりました。
個人的には洋楽にのめり込んでいったのが1980年代前半で
彼らが“イケイケ”(死後?)の時ではなかったので、
リアル・タイムでこの『at BUDOKAN』に多大な影響を受けられた諸先輩方に比べると
彼らに対する思い入れは遥かに乏しいのが正直なところです。
しかしながら、こうして後追いでも
「時代の空気」を体感できる音の記録が残っていることは有難いですね。
バン・E・カルロスが引退したのは残念ですが、
バンド自体はいまだリリース&ツアーを行っていることに拍手!!!
最新情報として、ナント!『at BUDOKAN』発売40周年を記念して
“一夜限り”の日本武道館公演が4/25(水)に決定!
更に日本の為の企画ベスト・アルバム
『グレイテスト・ヒッツ:ジャパニーズ・コレクション』(CD+DVD)も
4月4日に発売されます!!
インフォメーション | チープ・トリック | ソニーミュージック オフィシャルサイト
ここまで来たら「50周年記念」の日本武道館公演も、
また10年後に実現して欲しいですね!!
●THE FAMOUS ARTIST:DAVID SYLVIAN(JAPAN)
先のCHEAP TRICKと同様にJAPANも、
まず最初に日本で人気が爆発したものの、
バンド自体の活動期間は短命に終わってしまいました。
バンド解散後はデヴィッド・シルヴィアンが長くソロ活動を続けているものの、
その音楽性はJAPAN時代に比べると、より実験的かつ難解で
決してポピュラリティに溢れる音楽ではありません。
おそらく人気爆発中のJAPANに夢中だったファンの方々の中で、
今のデヴィッド・シルヴィアンの音楽活動を追いかけている方は
多くは存在しないでしょう。
確かにJAPAN時代の彼はめちゃめちゃカッコよく、
世の若き女性を容易にノックアウトできる超美貌でした。
音楽性はデビュー当時から少し変わった独特なものでしたが、
それを上回る「圧倒的なルックスの良さ」が
日本でのアイドル的人気を確固たるものとしていました。
今年で還暦を迎えた彼の風貌は、かつての麗しき美貌からはかけ離れたものの、
漂うインテリジェンスは独特のオーラを放っています。
番組でもお話しましたイギリスのラジオ局が制作した
彼の音楽歴を総括するプログラム、是非一度お聴き頂けたらと思います。
JAPAN~ソロ活動(コラボレーション作品含む)で彼が構築して来た音楽世界を
短時間で理解することが出来る大変素晴らしいプログラムです!
デヴィッド・シルヴィアンの2時間特番を英NTS Radioが配信、アーカイブ公開中 - amass
プログラム最後の楽曲は、映画「戦場のメリークリスマス」(1983年)の
テーマ曲だった「メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス」に
デヴィッドが詞とメロディーを付加した坂本龍一さんとの共演曲:
「FORBIDDEN COLOURS/邦題:禁じられた色彩」で締められているのが嬉しいです。
これからも「彼にしか創作出来ない」、独自の音楽を作り続けて欲しいですね♪
第20回 SOUND TRACK『TOP GUN』
2018 年 02 月 17 日
●SOUND TRACK:『TOP GUN』(1986年)
今年最初の特集アルバムとして
『サタデー・ナイト・フィーヴァー』(1978年)のサウンドトラックをご紹介しました。
そのアルバムでは大半がBEE GEESの楽曲でしたが、
80年代に入るとより多くのアーティストが1曲ずつ参加する
「オムニバス・アルバム」のような形のものがヒットする頻度が多くなり、
サウンドトラックがきっかけで未知のアーティストを
一度にたくさん知ることが出来るようになりました。
「デンジャー・ゾーン」を担当したケニー・ロギンスを、
私は少し前のサウンドトラック『フットルース』(1984年)で初めて知りました。
他にも『フラッシュ・ダンス』(1983年)のアイリーン・キャラとマイケル・センベロ、
『ゴーストバスターズ』(1984年)のレイ・パーカー・Jr.、などなど。
事実、映画主題歌を担当したことで
「キャリア初の全米No.1」を獲得したアーティストが多数存在していました。
※90年代で特に印象的だったのは
当時既に“大ベテラン”のロック・バンドであったエアロスミスが、
映画『アルマゲドン』(1998年)の主題歌でキャリア初のNo.1を記録したことや、
ホイットニー・ヒューストンとセリーヌ・ディオンがそれぞれ『ボディーガード』、
『タイタニック』の主題歌を歌ったことで全世界的な人気を決定付けたことでした。
同じく、以前番組でもお話ししたことがあるブライアン・アダムスも然り、ですよね。
80年代の「サントラ・ブーム」ほどの影響は
2000年代までは及んでいない印象がありますが
(『アナと雪の女王』と『ラ・ラ・ランド』くらい?)、
これからもたくさんのアーティストが映画音楽に関わることで、
より多くの音楽ファンに知られる良いきっかけになることを期待したいですね♪
●THE FAMOUS ARTIST:AL JARREAU
彼の存在を始めて知ったのは、
アメリカ音楽界の大スター達が一同に会してレコーディングされた
「ウィー・アー・ザ・ワールド」のミュージック・ヴィデオを見た時でした。
当時中学生でデュラン・デュランとカルチャー・クラブがアイドルだった無知な私は
「鼻の穴、でかっ!(失礼!)」という印象しか無く、
彼がいかに偉大なヴォーカリストであるかを知ったのは
随分と時が経ってからのことでした。
グラミー賞:異ジャンル部門での受賞実績が表す通り、
どんなジャンルの楽曲でも歌いこなすことが出来る大変器用な歌い手さんだと思います。
個人的にはA.O.R.テイストのアルバムが大好きで、
番組でもご紹介した「モーニン」収録のアルバム『ジャロウ』(1984年)や
『ブレイキン・アウェイ』(1981年)は本当に聴きやすく、
心地よい歌声とサウンドがマッチしていて長く愛聴しています。
チャートやセールス的な大記録を残してきた方ではございませんが、
「偉大なヴォーカリスト」としてアメリカ・ポピュラー音楽史に
深~くその名を残した方であることは間違いはありません。
番組でご紹介した「モーニン」がきっかけで、
初めて彼の存在を知ったリスナーの方がいらっしゃいましたら。
是非この曲以外の彼の素晴らしい音楽レパートリーを、
これからたくさん耳にして頂ければ嬉しいです♪
第19回 NEIL YOUNG『HARVEST』
2018 年 02 月 10 日
●NEIL YOUNG:『HARVEST』(1972年)
バッファロー・スプリングフィールド、
クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの一員として。
そして現在もひんぱんに新作をリリースしている
「現役バリバリ」のソロ・アーティストとして。
キャリア全てのアーティスト活動においてその影響力たるや、
絶大なるものがあります。
正直、yadgeも最初に聴いた時には
“クセのある歌声”に苦手意識を持っていましたが、
初めて買ったCD『ハーヴェスト・ムーン』(1992年リリース作品)の
あまりの素晴らしさに、それまでリリースされていた彼の
「歴史的名盤」きっかけではない形で彼のファンになりました。
フォーク・ロックのカテゴリーに収まらない
「爆音ギター・ロック」を奏でたりもすることが、
番組でもお話した通りエディ・ヴェダー(パール・ジャム)や
カート・コベイン(ニルヴァーナ)という
グランジ・シーンの中心人物にまで絶大なる影響力を放っていたという事実。
カナダ・アメリカ音楽界のシンガー・ソングライター史上、
ニール・ヤングほど幅広いジャンルと世代から
リスペクトを受けているアーティストはいないでしょう。
老いて尚も「現在の音楽フォーマット」による
キャリアのアーカイヴ活動に積極的に取り組んでいる姿は、
若い世代のアーティストに再び大きな影響を及ぼすことになると思います。
作品のみならず、そうした彼の活動自体も「ロック」なのです。
決して「歌が上手い」タイプのアーティストではありませんが、
あの独特な歌声がかもしだす唯一無二の音楽世界は、
ボブ・ディランに匹敵する個性だと思います。
番組でご紹介した『HARVEST』と、
その20年後にリリースされた『HARVEST MOON』の2作品を聴くだけでも、
彼のキャリアの一部を知る上での「必要十分条件」を満たすはずです。
ファンの方にとってはこれから膨大なるアーカイヴ音源が
「発表され続けること」に、追いつくのが大変ですが
これからも良き「ロックおやじ」としての「象徴的存在」として
輝き続けて欲しいアーティストです。
●THE FAMOUS ARTIST:ROBERTA FLACK
既存曲であった「Killing Me Softly With This Song/
邦題:やさしく歌って」をこれほどまでに劇的に再構築した偉業は、
信じがたいくらい「奇跡の仕業」だったと感じずにはいられません。
最初に歌ったロリ・リーバーマンも
ロバータの素晴らしいカヴァー・アレンジには大いに感動したそうです。
この曲に限らず彼女はこれまでに「原曲を軽々と超越する」という
見事なカヴァー振りを幾度も発揮しています。
ヴォーカリストとしての「資質」がいかに優れているか、を思い知らされます。
彼女は同じ黒人シンガーでもアレサ・フランクリンや
ホイットニー・ヒューストンのような「熱唱型」では無く、
静かに歌うタイプのシンガーです。
それは一聴した時は、ただ「クールに歌っている」
としか聴こえないかもしれません。
しかしながら何度も耳にしていくうちに彼女の
「歌唱力」が持つ最大の魅力が、
熱唱せずとも聴き手の心をやさしく掴みとる
「奥深さ」にあることに気がつきます。
他に例えるならシャーデーやノラ・ジョーンズにも通ずる共通点かと♪
そして彼女のキャリアを語る上で欠かせない
同時代の天才的シンガー:ダニー・ハサウェイ。
この二人が共演したアルバム『ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ』
(1972年リリース作品/アトランティック)は
同時代の『ダイアナ・ロス&マーヴィン・ゲイ』
(1973年リリース作品/モータウン)と並び、R
&B界の歴史において絶対に欠かせないデュエット・アルバムの最高峰です。
ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ|ワーナーミュージック・ジャパン
お互いの「名門レーベル」の価値を象徴するかのような
存在のアルバムでもあるかと。
一度生で彼女の歌声を聴いてみたかったです!
(もう流石に来日公演は期待できないでしょうから。。。涙)
第18回 BRYAN ADAMS『RECKLESS』
2018 年 02 月 03 日
●BRYAN ADAMS:『RECKLESS』(1984年)
前回特集したブルース・スプリングスティーンと同様に、
このブライアン・アダムスもアメリカ(+カナダ)の
少年少女の良き「兄貴分」的な存在だったと思います。
飾り気のない、真っ白なTシャツにジーンズが
そのままステージ衣装(?)なのですから、
その親近感たるや他のアーティストとは比べ物にならないくらい
親しみやすかったのでは?
そしてブライアン・アダムス最大の魅力は、ハスキーなその「歌声」♪
激しい曲はより激しく、バラードではより切なく響き渡るその特徴的な歌声は
何者にも変えがたい彼の個性です。
還暦を前にして尚、その歌声はきっとこれからも
ファンの心をとらえて止まないことでしょうね!
番組中でも触れましたが、
90年代初頭からの映画主題歌3作連続での全米1位という偉業。
「ソングライター」としてキャリアをスタートした彼の音楽的才能が
最も世界にインパクトを与えた出来事でした。
これまでに聴いたことが無かった独創的なその楽曲群は、
彼の誇らしいレパートリーとしてポピュラー音楽史に深く刻まれています。
「シングル・ヒット」という観点から見ると、
彼は同時代の「ギター系シンガーソングライター」の中では、
最も成功を収めたアーティストだと言えます。
2000年代以降もコンスタントに
オリジナル・アルバム・リリースを行っている彼ですが、
2014年に『Tracks of My Years』という
カヴァー・アルバムをリリースしています。
彼が影響を受けてきたルーツ・ミュージックを知ることが出来る
このアルバムを聴くと、それらの影響下でいかに彼が
自身のオリジナルなソングライティング力を持っているのかが分かります。
80年~90年代とは違い、2000年代のアメリカ音楽シーンは
「楽曲そのものの良さ」は重視されず、
1パターンなリズム・トラックにメロディ・レス、
そして記名性を無視した“フューチャリング誰それ。。。”
ばかりの理解不能なR&B/HIP HOPソングが
チャート上位を占める時代になり下がりました。
そんな哀れな今のチャートを見るにつけ、
自分が音楽とともに青春時代を過ごせた年代が「楽曲の良さ」ありきで
チャートが構築されていた80年代で良かったなぁ~とつくずく思う次第です。
中でもこのブライアン・アダムスが
80年~90年代にシーンに与えていた影響力の偉大さは、
彼が残してき数多くの「シングル・ヒット曲」が
堂々と証明していると思います♪
●THE FAMOUS ARTIST:RODDY FRAME(AZTEC CAMERA)
まず「アメリカ」では絶対に生まれなかったであろう
「ネオ・アコ」というムーヴメント。
しかもロディ・フレイムはイギリスではなく
「スコットランド出身」ということも、
彼の音楽性をはぐぐむに不可欠な国民性があったと思います。
オレンジジュースのヴォーカリストであり、
現在のロディ・フレイムのリリース・レーベル元である
エドウィン・コリンズ(ロディと同い年)しかり、
先輩アーティストにあたるアニー・レノックス(元ユーリズミックス)や
同じく同い年であるジム・カー(シンプル・マインズ)もしかり、
彼らには「イギリス・ロンドン的ではない」
独特なポップ感覚があるように思います。
2ndアルバム『ナイフ』収録の
「オール・アイ・ニード・イズ・エヴリシング」で初めて彼の存在を知って以来。
彼のソングライターとしての才能に「枯渇」という文字は全く無関係です。
※プリファブ・スプラウトのパディ・マクアルーンにも
同じようなものを感じるのは私だけでしょうか?
yadgeがロディの才能に最も深く感動した楽曲が
「スパニッシュ・ホーセズ」。
1993年リリースのアルバム『ドリームランド』に収録されている
この楽曲を初めて耳にした時の衝撃は今でも忘れません!!
(アルバムの共同プロデューサーは、ナント!坂本龍一氏!!)
Aztec Camera - Spanish Horses (OFFICIAL MUSIC VIDEO) - YouTube
「1980年代」、そして「スコットランド出身」という
2つの音楽的奇跡を象徴する天才ソングライターだと思います♪