第17回 BRUCE SPRINGSTEEN『BORN TO RUN』
2018 年 01 月 27 日
●BRUCE SPRINGSTEEN:『BORN TO RUN』(1975年)
彼のファンの中では当たり前のように使われてる「BOSS」という愛称。
文字通り「アメリカ音楽界のボス」という存在に相応しい実績を持つ
偉大なる「アメリカの象徴」です。
これは勝手な想像ですが、恐らく彼の全米ツアーの公演チケットは
引退するまで、ずーっとSOLD OUTを続けるのではないでしょうか?
番組内でもお話ししましたが、とにかくこの方は
「来日してくれない大御所アーティスト」の筆頭です!
先輩格にあたるボブ・ディランでさえ、
コンスタントに来日してくれているというのに。(笑)
うかつにも唯一見れたライヴ中に
「寝てしまう」という大失態をやらかしたyadgeにとっては、
必ずリヴェンジをしなければならないのですが
一向に来日する気配が無いので困りました。。。
E.STREET BANDによる素晴らしい演奏とともに、
このアルバム・タイトル曲「Born To Run」を始めとする
BOSSの楽曲の数々を生で聴けたら、どんなに幸せなことでしょう!!
そうなれる日が遠くないことを切に願います!!
追伸・・・彼の最新アルバム『ハイ・ホープス』(2014年)の中で
セルフ・カヴァーされている「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード」。
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンがかつてカヴァーしたこの曲の新録ver.には、
そのレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのギタリストだった
トム・モレロがゲスト参加しています。
ここでの彼のギター・ソロは、yadgeにとって
「生涯のベスト・ギター・ソロ」の第二位
(一位は以前、番組でもお話しましたがSTINGによる
「リトル・ウィング」のカヴァーver.での故ハイラム・ブロックのソロです)
に座するものです。
⇒こちらをどうぞ♪Bruce Springsteen & The E Street Band - The Ghost of Tom Joad
●THE FAMOUS ARTIST:ANITA BAKER
番組中で「去年のツイッター上で引退をほのめかして、、、」
とお話ししていましたが、どうやら60歳(今年)で引退をなさるようです。(涙)
年明けに再び自身の引退について触れ、
「2018年をみなさんとたくさん祝いたい。60歳の誕生日まであと25日。
フェアウェル・コンサート・シリーズが3月から始まります」
と引退に向けた“さよならコンサート”を
今年行う予定であることをコメントしています。
80年代~90年代にかけて輝かしいキャリアを重ねてきた
「最も成功した女性R&Bアーティスト」の一人であるアニタ・ベイカー。
世界中の彼女のファンが注目するコンサートになるでしょうね!
「スウィート・ラヴ」がヒットした1986年。
当時高校生だったyadgeにとっては正に「大人の音楽」の典型で、
同時代にデビューしていたSADEと共に、背伸びして聴いてはみるものの、
まだその良さがいまひとつ解らないアーティストでした。
なにせ当時は「BON JOVI」を筆頭に
ハードロック/ヘヴィ・メタル一派にドップリでしたから!
やがて20代~30代と歳を重ねる毎に、
その音楽の良さが無理なく受け入れられるようになり、
今ではSADEも同じく大好きなアーティストとなりました。
引退なさるのは大変残念ではありますが、
彼女の後に続く素晴らしいR&Bアーティストが
2010年代にも現われることを願ってやみません。
最近の音楽シーンはR&Bと言えども、“HIP HOP寄りなアーティスト”が主流で
アニタ・ベイカーのような「王道のR&Bシンガー」が
目立って活躍する時代では無くなりましたので。
第16回 BON JOVI『SLIPPERY WHEN WET』
2018 年 01 月 20 日
●BON JOVI:『SLIPPERY WHEN WET』(1986年)
80’s洋楽リスナーにとって、BON JOVIの存在は
『SLIPPERY~』の前に大ブレイクを果たしたVAN HALEN(『1984』)、
後のDEF LEPPARD(『HYSTERIA』)共に
「HARD ROCKだけどPOPな楽曲」を武器に
圧倒的なポピュラリティを獲得した「耳なじみのバンド」でした。
その3組の中でもBON JOVIはTV CMにも登場し、
「日本のお茶の間」にまで浸透した初めての
HARD ROCK BANDだったと言えるのではないでしょうか?
なんたって当時「わたしの両親」でさえ名前を知っていたくらいですから!!
一方で古くからのHARD ROCKファンからは小馬鹿にされたりもしました。
でも結局は同時代に生まれたアメリカン・(ハード)ロック・バンドの中で、
いまだにアルバム・チャートで首位を獲り、
かつツアー興行成績も常に上位に在るバンドはBON JOVI以外に見当たりません。
まさかのリッチー・サンボラ(Gt)の離脱は大変残念でしたが、
ジョン・ボン・ジョヴィのソングライターとしての才能の凄さは、
80年代から30年以上が経っていながらも
全くブレることなく良い楽曲を延々と書き続けていることが立証しています。
それは同郷の先輩格にあたるブルース・スプリングスティーンも同様に、
2000年代に入ってからも延々と良い楽曲を書き続けている姿と重なります。
当然ながら「歌唱」自体のポテンシャルが落ちない点も、
この2人に共通して言えることです。
、、、となると如何にブルース・スプリングスティーンが、
より凄いアーティストであるか!という事に繋がりますが。(笑)
「ロックの殿堂入り」が決まった後、アメリカでは更なるツアー日程が発表されました。
福岡公演は去る2003年以来、早14年も実現していません。
2018年。
“15年ぶり”という区切りの年に再び福岡公演が実現すればいいのになぁ~。。。
リッチー・サンボラ不在のバンドの姿を目視することは辛いですが、
2003年当時よりも更に風格を増しているであろうジョンの勇姿を
この眼で確かめたい!と思っている福岡のBON JOVIファンは
決して少なくはないはず!!ですよね?
●THE FAMOUS ARTIST:GLENN FREY(EAGLES)
70年代に「最も成功を収めた」グループの中心メンバーとして、
ドン・ヘンリーとともに数々の名曲を生み出したグレン・フライ。
彼のソングライティングの才能はソロ・ワークスの中でも存分に発揮されています。
しかしながらソロ・キャリアにおいては意外や意外、
ドン・ヘンリーとともにNo.1シングル獲得歴がありません。
番組でご紹介した「You Belong To The City」と共に
彼の2大ヒット・シングルである「The Heat Is On」の
どちらも「2位止まり」。。。何故??
特に「You Belong~」は彼の作品中“最高楽曲”だと思えるほど
素晴らしいだけに1位を獲って欲しかったです。
※この曲はジャック・テンプチンというソングライターとの共作。
その時のNo.1ソングはSTARSHIPの「シスコはロックシティ(邦題)」。
因みに「The Heat Is On」を阻んだNo.1ソングは
REOスピードワゴンの「涙のフィーリング(邦題)」。
う~む、、、どちらのNo.1ソングも同様に素晴らしい楽曲ですよね。
グレンにとってはアンラッキーなタイミングで現れた
超強力なライヴァル曲だったのでした!
昨年イーグルス『ホテル・カリフォルニア』を特集した際にお話ししましたが、
現在のイーグルスのメンバーにはグレンの息子さんである
ディーコン・フライが加入しています。
いまや「オリジナル・イーグルス」のメンバーは
“ドン・ヘンリーたった一人”になってしまいました。
そんなドン・ヘンリーにとってはグレンの息子
ディーコンの存在は愛おしくてたまらないでしょうね。。。
父親の魂を引き継ぐ若きディーコン・フライが、
ドン・ヘンリーの心の支えとして「これからのイーグルス」を
少しでも長く存続させる“原動力”となることを願います。
第15回 DEF LEPPARD『PYROMANIA』
2018 年 01 月 13 日
●DEF LEPPARD:『PYROMANIA』(1983年)
NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)という
カテゴライズから遥か何次元も飛び越えての破格の大成功を収めたデフ・レパード。
この『PYROMANIA』が大ヒットを記録していた1983年当時。
音楽業界の頂点はマイケル・ジャクソン『スリラー』であり、
その頃産声を上げたばかりのBON JOVIが後に大ブレイクし
「一大ハード・ロック&ヘヴィ・メタル・ブーム」が到来する前夜に、
全米チャートでアルバムが上位にランクインし数百万枚のセールスを上げていた
ハード・ロック・バンドはVAN HALENくらいしか存在しませんでした。
ところがこの『PYROMANIA』の大ヒット以降、
オジー・オズボーン、ナイト・レンジャー等の新作がTOP20入りを果たし、
L.A.では「L.A.メタル」なるシーンから
クワイエット・ライオット、RATT、モトリー・クルー等が続々とチャートに登場。
そして遂にBON JOVIが『Slippery When Wet』(1986年)で
新たな“現象”をシーンに持ち込むきっかけを作り、
ダメ押し的アルバムとなったのがデフ・レパードの次作『HYSTERIA』(1987年)と、
ホワイトスネイクのアルバム
『WHITESNAKE(邦題「白蛇の紋章~サーペンス・アルバス~」)』(1987年)でした。
こうした「ハード・ロック&ヘヴィ・メタル勢」の勢いは更に
ポイズン、シンデレラ、ウォレント、SKID ROWといったバンドのアルバムまでも
軽々とアルバム・チャートTOP10にランクインするという、
かつてないほどの確固たるシーンを構築しました。
要は「BON JOVI、デフ・レパードっぽいサウンドは売れる!」と。(笑)
この一大勢力は、やがてシアトルから派生した
「グランジ・ロック」にシーンを取って代られるまで栄華を極めました。
90年代に入るとBON JOVIやデフ・レパード等の音楽は
一気に「ダサい音楽」へと成り下がってしまい、大苦戦を強いられます。
その中で数多くのバンドが解散や活動停止に追い込まれる中、
ご存知の通りBON JOVIもデフ・レパードもいまだに新作をリリースし、
ツアーを行っています。実に天晴れなバンドだと思います。
80’s世代が原体験出来なかったDEEP PURPLE、AEROSMITH
(彼らは90年代にも大成功を収めますが!)、
KISS等による「70’sハード・ロック」のカタルシスを見事に
「マイケル・ジャクソンと同等レベルで」体感させてくれたのが
BON JOVIとデフ・レパードの2組だったのです♪
1/20(土)の放送で今度はBON JOVIの3rdアルバムを特集いたします!
●THE FAMOUS ARTIST:DAVID BOWIE
本当に彼は亡くなってしまったのしょうか???
多くのロック・ミュージック・ファンにとって、デヴィッド・ボウイの死は、
確実に「ロックの死」に等しい危機感を感じさせる出来事だったと思います。
現在のビルボード・チャートを見るにつけ。。。
チャート上ではROCK MUSIC(あるいはそれを奏でるバンドやヴォーカリスト)が
瀕死である状況は、そうなってからずいぶんと久しいですよね。
それはきっと今年の「グラミー賞授賞式」にも
前年にも増して更に露骨に表れることと思います。
U2(最新作が1位を獲得したものの。僅か5週目にして早くもTOP100から外れそうです、、、)、
ブルース・スプリングスティーン、メタリカ、BON JOVI、
フー・ファイターズ、イマジン・ドラゴンズの6組くらいですよね、
昨今の全米アルバム・チャート上位に顔を出す「ROCK」って。
70年代~80年代に活躍しヒット曲を持つロック系ミュージシャンは、
愛あるファンに長く長く支えられて
「ツアー興行収入」という名目で稼ぐことが出来ていますが、
ことアルバム(その売り上げからの収入)となると一部のアーティストを除いては
かつてメジャー・レーベル所属だった大御所でも
インディーズ・レーベルからのリリースを強いられている為、
以前のように広くファンに知られることが出来ず
ヒット・アルバムにはならないアーティストが増え続けています。
そんな中でデヴィッド・ボウイは最期のアルバム『★(ブラックスター)』を
SONY/RCAというメジャー・レーベルからリリースし、
キャリア初の全米チャート1位という記念すべき記録を残しこの世を去りました。
それは「ROCKの神様」が死期を迎えたデヴィッド・ボウイに
最後のはなむけを施したのかな?とも思える出来事でした。
昨年亡くなったトム・ペティも、最期のアルバムで初めての全米1位を獲得しています。
どんな時代でも「ROCKアルバム」が
全米チャートの1位になることってイイもんだなぁと、
ただただわたしはそう思うのです。
デヴィッド・ボウイやトム・ペティの
「ROCKなDNA」を受け継いだ「次世代ROCKアーティスト」が、
再び全米チャートを制覇してくれる日が、そう遠くない日であることを願うばかりです。
第14回 SOUND TRACK『SATURDAY NIGHT FEVER』
2018 年 01 月 06 日
●SOUND TRACK:『SATURDAY NIGHT FEVER』(1977年)
※番組中で誤って「ギヴ3兄弟」と言うべきところを
「ボブ3兄弟」と話している箇所がございました。
この場をお借りして訂正し、お詫び申し上げます。
昨年末、英国政府よりエリザベス女王が授与する新年の叙勲者名簿発表において
ザ・ビートルズのリンゴ・スターと共に
BEE GEES:バリー・ギブへの「ナイト爵位」の授与が発表されました。
バリー・ギブは2002年にも「BEE GEES」として兄弟の故モーリスと故ロビンと共に
大英帝国第三級勲位(CBE・コマンダー)を授与されています。
今回の「ナイト爵位」の授与について
「自分と同じくらいに2人に与えられた栄誉だ。魔法と輝きと興奮は一生ものだ」
というコメントを発表しています。
彼、及び「BEE GEES」が残した音楽的功績が
いかに現代においても偉大であるかを物語る出来事ですね。
昨年は『SATURDAY NIGHT FEVER』の40周年記念盤もリリースされるなど、
再びこのサウンドトラック盤とBEE GEESへの評価が高まっています。
元来ROCK好きなわたくしyadgeは、
このサントラ盤が出た1977年以降に大ブームとなった
一連の「ディスコ・ミュージック」を当初は毛嫌いしていました。
もちろんこのサントラ盤で存在を知ったBEE GEESのことも
「だだのディスコ・ヒット・グループ」としか見ておらず、長らく敬遠していました。
ところがある時、
彼らのベスト盤で初期のヒット曲を初めて耳にした時(全然ディスコ音楽ではない)
美しいハーモニーと素晴らしいソングライティング力を持つグループであることを知り、
完全に見方が変わったのです。
それを踏まえてその後にこのサントラ盤を聴くと、
不思議なことに今度は素直に受け入れられたのです。
80年代以降~グループ活動晩年期はヒット・チャートとは縁遠い音楽活動でしたが、
ポピュラー音楽史に深くその名を刻んだ
大ベスト・セラー作品である『SATURDAY NIGHT FEVER』の偉大さは、
これから更にその偉大さを増すことと思います。
番組でも紹介した同時代のヒット・アルバムである
イーグルス『ホテル・カリフォルニア』、フリートウッド・マック『噂』
などと並び称される名盤の1枚であることに間違いありません♪
ただ、わたしは「ディスコ」(あるいはクラブ)が大の苦手なので、
このサントラ楽曲で踊ったことは1度もありませんが。。。(笑)
●THE FAMOUS ARTIST:MICHAEL STIPE(R.E.M.)
「ライヴを見れなかったことを悔やむバンド」の
1~2位を争う大好きなバンドです。
いくつかのライヴ映像商品で見るマイケル・スタイプは、
独特な身体の動きによるステージ・パフォーマンスで
聴衆を強力に引き込んでいくカリスマ性溢れるヴォーカリストでした。
U2やRADIOHEADと同様に決して「明るい曲が多いバンド」ではないのですが、
80年代後期~90年代にかけてのこのバンドはアメリカ本国において、
絶大なる支持を集めていました。
あのNIRVANAのカート・コベインが亡くなった後に発表されたアルバム
『モンスター』(1994年)で、生前に親交があったマイケル・スタイプは
「Let Me In」という曲をカートに宛てて書き下ろしています。
カートが自宅部屋で自殺を計った時、ステレオから流れていたのが
R.E.M.の『オートマティック・フォー・ザ・ピープル』(1992年)だったそうです。
それほどカートはR.E.M.(=マイケル・スタイプ)に憧れていたのです。
先に書いたU2とRADIOHEADにまつわるエピソードもあります。
RADIOHEADが全米で大成功を収め、大規模なツアーを敢行するまでになった時。
その環境にどう対処していけば良いのか悩んでいた
トム・ヨークのもとを訪れたマイケル・スタイプは
「君たちはU2になる必要は無い」、とアドヴァイスをしたと言われています。
いまだ第一線で活動を続けているU2やRADIOHEADの音楽を彼は今、
どのように聴いているんでしょね?
第13回 GEORGE MICHAEL『FAITH』
2017 年 12 月 30 日
●GEORGE MICHAEL:「FAITH」(1987年)
未だに彼の死が信じられないままでいるのは、私だけではないはずです。
遺作となった『シンフォニカ』(2014年)にも現われていましたが、
もし彼が存命でクラシカルな作品を歌い続けていたとしたら...
ロッド・スチュワートの「グレイト・アメリカン・ソングブック」シリーズのように
それはそれは素晴らしい「音楽作品歌集」をたくさん残したであろうな、と強く思います。
楽曲の制作能力の高さもさることながら、やはり彼の絶対的な
「ヴォーカル力の高さ」は同時代では他を寄せ付けませんでした。
アップ・チューンからバラードまで、
見事なバランスで歌いこなしていたヴォーカリストとしての表現力は、
スティーヴィー・ワンダーの「アズ」、
ボニー・レイットの「アイ・キャント・メイク・ユー・ラヴ・ミー」の
2曲のカヴァーだけをとってみても明白です。
そしてオリジナル楽曲作品群の圧倒的なクオリティも。
番組でご紹介した1stソロ『FAITH』ももちろん名盤ですが、
yadge的には2ndアルバム
『LISTEN WITHOUT PREJUDICE Vol.1』(1990年)こそが彼の最高傑作であり、
かつ「大英帝国産ポピュラー・ミュージックの最高峰アルバム」だと信じて止みません。
この2ndアルバムは彼が27歳のときに発表されたアルバムです。
ブックレットの中で彼は、
彼自身が尊敬する偉大なアーティストの名前を引き合いに出しながら、
「ようやく自分もその域にたどり着けた」というニュアンスのコメントを残しています。
『FAITH』に比べると多少地味な印象を受ける作風の楽曲が多いかもしれませんが、
各々の楽曲の味わい深さはそれまでの彼の作品よりもあきらかに深いです。
これは断言します!
シンプル極まりない音像と楽曲構成なのに、これまで聴いたことのなかった彼の
「新たなオリジナリティ」に満ち溢れている奇跡的な楽曲群に脱帽します。
yadge生涯のBEST ALBUM TOP5に入るくらいの、愛聴盤です。
デラックス・エディションが昨年秋にリリースされていますので
未聴のかたは是非、是非、お聴きになってみてください♪
●THE FAMOUS ARTIST:TRACEY ULLMAN
決して「歌手」が本業では無い方なのですが、
番組でお聴き頂いた「They Don't Know」を始め彼女の歌唱には、
古き良き時代の”オールディーズ・ポップス”を聴いているかのような
エヴァーグリーンな魅力があります。
女優、コメディエンヌという「本業」で培った表現力が
巧く歌唱にも表れているんでしょうね!
それにしても、この「They Don't Know」の楽曲の素晴らしさたるや。
改めてオリジナルであるカースティー・マッコールの才能にも感謝したいですね。
そのカースティー・マッコール関連作品でもう1曲、
洋楽ファンには忘れがたい名曲があります。
当時の旦那さんであるスティーヴ・リリーホワイトがプロデュースした
ザ・ポーグスのアルバム『堕ちた天使(邦題)』(1988年)収録の
「Fairytale Of New York」(邦題:ニューヨークの夢)です。
この曲でカースティーはポーグスのヴォーカル:
シェイン・マガウアンとデュエットしています。
The Pogues Featuring Kirsty MacColl - Fairytale Of New York (Official Video)
この曲はいまや「クリスマス・ソングの裏定番」的な曲として、
長く音楽ファンの間で愛聴され続けています。
残念ながらカースティー・マッコールは2000年の12月18日、
皮肉にも「クリスマス直前」にボート事故により41歳の若さでこの世を去りました。
12月25日に亡くなったジョージ・マイケルといい、
洋楽ファンにとっては「ラスト・クリスマス」と「ニューヨークの夢」の
2曲を聴くクリスマス・シーズンは同時に2人の死を悲しむ時期となりましたが、
いずれもポップス史に残る素晴らしいクリスマス・ソングであることに変わりは有りません。